何の損得もなく、なんとなく書いている記事です(‘_’)
研究や人生が辛いと時々ふと検索しちゃいません?「博士課程 絶望」とかw
僕がさっきふと検索したんで自分でも記事書いてますww
博士課程の絶望、というかビジネス系も含めての絶望を体感真っ只中のうちにただつらつらと書いた記事を一つ残しておくかと思っただけです。
読みやすさとかあまり考えてません。話題の飛び方も多分おかしい。
鬱っぽい書きなぐり系雑文です。しかしそれもまたブログ( ^ω^)・・・
博士課程に進むと地獄。されど退くも地獄。 40超えても任期付き職の可能性もある樹海アカデミア
知っての通り、日本の博士課程には基本的に絶望感・不幸感が漂い、鬱になったり命を落としたり、途中で辞めたりと言った話で満ちています。
新卒一括採用が蔓延する日本では、博士までいくと修了時ストレートで27歳になってしまい、300~1000万規模の借金持ちでスタートという事態にもなりがちです。
日本でも学振を取れば月20万、最近であれば奨学金との併用制度を使えば月30万越えの可能性も出てきていますが、それもわずか2,3年の命。
学振を取ったから自分は優秀だ!研究者になれるぞ!と思いアカデミアルートに進むと1~3年程度での契約更新が基本の任期付き研究員ポスドクとして生きる地獄が始まります。
ちらさんの知り合いには年に5,6本論文を書いていて人間的にも問題なさそうなのに40代でまだポスドクの人もいます。
上にはもう一年に1本も論文を書かない50代教員が非任期付きの職位を占有していたりするのが日常です。
場所によってはなんかどっかからやっていた天下り教員がいたりすることもあると聞きます。
そんな中で生きてたら普通に発狂・絶望・自死を選ぶのに何の疑問も湧きません。
非任期付き職の席の数は決まってますからね。上がいなくならない限りは自分にチャンスは回ってきません。
もちろん全世界を対象に職探しの旅に出ることも可能ですが、自分の生きたいライフスタイルを捨ててそこに踏み出せる人は少ないでしょう。
ポスドクの年齢だと家族持ちやしがらみがあったりもするでしょうし(そういう話も多々聞きました)。
職を得るために行われるアカデミアの公募では先に誰を雇用するかわかってる出来レースも多く、人脈がないと出来レースでもとにかく出して時間と精神を消耗することになります。
それが博士号を取った先にアカデミアに進むと待ち受けるポスドクのルートです。
研究業績と人脈と運すべてに恵まれた人だけが若くして非任期付き職を得ることができます。
数少ない垂れた糸に無数の猛者が群がり、時流を掴んだ人一人が勝ちあがる修羅の世界。
まさに芥川の蜘蛛の糸の世界です。
ビジネスだと二番煎じでもブランドとか教祖性とかを使えば割と何やっても許されるし虚構の上層に上がることはできますが、アカデミアの場合はそれも不可能です(はい、そこ。最近は論文改ざん増えてるけどとか言わない。職を得るときに虚構出来レースあるとかも言わない)。
現代では一応経済的な危機回避の低リスクギャンブルもできなくはない ただし研究時間を犠牲にする
僕はそういう蜘蛛の糸を掴もうとして精神的・経済的崩壊の事態に至った先輩方を何人も見てきたおかげで、先回りして危機回避策を実行することができました。
その代わり僕は業績を積みまくるレースからは降りました。同じ分野で先述したポスドクや人生を終了させたポスドクを知っているので。
先の40代非任期付き職生活は多分精神的に持たないと判断しました。博士課程に進んだ時点で狂気なんですが、そこから無限ポスドクをやるには想像を超える狂気が必要な気がします。
今の時代でこの国の状況を考えた時に、そのレースに先はないと判断しました。
その代わりフリーでもなんでもいいから好きなタイミングで好きに研究なりなんなりやればいいやって構えです。まあこっちがむしろ間違いの道かもしれんけどそれはそれw
自分がやったのは開業資金がほぼいらないブログ・サイト・広告運用・クラウドソーシングでのサービス提供や個人コーチングなんかを活かしたウェブ起業。
奨学金も全額返しましたし。本当は運用してた方がよかったんですが、まあ返せるときに返しとこって感じです。
結果的には多分学部とか修士から一般的な大企業に就職してる人よりお金貯まったと思います。
このギャンブルに踏み切り、まあまあの稼ぎにはなったのでひとまず博士課程の生活やらその先数年くらいは何の問題もない経済状況になっています。
あとあまり勘定に入れるべきではないですがたまたまつよつよ大企業で働いてる嫁と結婚したのでベーシックインカムもあります。
まあ財布完全に分かれてますけどね(*’▽’)w
ちなみに僕が自分で稼いでなかったら結婚はなかったそうですww
現役の教員でも昔は奥さんに食わせてもらったという人もいるので狙える人は奥さんにベーシックインカムになってもらって、あとで恩返しするのもありでしょう(まあ狙ってやると失敗する人が大半だと思うけどw)。
これからの起業だとyoutubeで一山張るのもいい選択肢と言われていますね(数年後この記事を読み返すとyoutubeオワコンとかになってるのだろうかさてはて)。
まあなんにせよ、現代社会は個人が経済的リソースがほぼないところから勝負できる土壌ができていてよきかな。
ただし、博士課程や研究人生を歩んでいるポスドクの場合、ビジネスギャンブルで一勝負するかどうかは人生を大きく変えます。
何と言っても研究時間が削られますし、やれば必ずうまくいくわけでもありません。
僕はブログコンサルで数名に副業を教えたことがありますが、うまくいくかどうかに学歴は一切関わってきませんでした。
脳内の占有リソースをどこまで新しいことに空けられるか、副業で絶対に稼いでやるという覚悟、そしてアルゴの運などにより学振を取ったポスドクのブログがぽしゃることもあれば、卒研を懸命にやってるけど学問はこれ以上はしたくないなあという学部生のブログが大きく伸びることもありました。
研究もやりつつ副業でブログ構築をしていくというのは非常に難しい側面があります。
ウェブ起業の場合低予算でスタートできるので失うのは時間だけなんですが、時間を失うダメージがほかのキャリアよりはるかに大きいと個人的に思います。
一般のサラリーマンみたいにこの時間ここまでは本業。空いた時間に副業。
という棲み分けができればいいですが、研究も副業もどっちも生き方としては脳内リソースの使い方としては定時なしの世界になるため、休みの概念がありません。
自分でいついつこの時間まではこれこれをやるって分けるなりするしかないんですが、
特に研究はそういう切り分けをやると進捗に大きく響くことがあります。
”ずっと脳みそのどこかで研究のことを考えている”
そういう状態が意識してないところで研究の進捗を大きく進めていることが多々あります。
「空いた時間は副業を・・・」という気持ちで脳みそを使うようになるとこの研究を進めることに集中・洗練された脳みそが腐り始めます。
結果として進捗を生む速度や研究でのアイデアを出す勘などはほぼ確実に鈍ります。僕だけでなく複数のポスドクが同じことを言っていました。
それでもうまくできる要領のいい人もいるのはいます。僕もまあまあそこそこはできてた方だと思います。
が、やっぱり洗練度が落ちるんですよね。
そのリスクを負った見返りになるくらいの金額を稼げるならGOなんですが、最初はなかなか読めないのが現実。
僕の場合は後先考えてるようで考えられてなかったのと、結果的に資金を増やしたことで博士課程を途中でやめずに済んでるのでひとまずはOKでしょうw
業績レースから降りるとテニュアを取るチャンスを捨てる可能性が格段に上がることになります。
研究しながら副業やる場合は自分の人生における研究との距離感をある程度見定める必要がありますね。
疑ってかかる研究畑の人間は自分がやることの価値を疑ってしまいがち 頭お花畑ビジネスマンになりきれない
あとアカデミア畑の人で商売がうまくいかない場合、研究と副業ビジネスに相乗効果がないというのも効いてきてるかもしれませんね。
普通のサラリーマンであれば自分の仕事と親和性の高い事業を副業にすることができますが、研究系はパイが小さいのでそのあたりの難易度は高まります。
残念ながらほぼ大半の人は研究のことだけをブログに書いても誰も見に来ませんから。
・大衆が見たい。アクセスが多く集まるもの
・購買や資料請求など、企業もしくは自分に顧客名簿を提供する
どちらかの要素がないとブログやサイトやyoutubeで稼ぐことはまずできません。
なのでこれらの要素を取り込む形で集客を行う必要があります。
これはもうビジネスをやるなら避けられないです。
こういうのを避ける方法の一つとしては自分が教祖的存在になり、顧客を信者にしてしまい脳死で何かを買わせるなどもあるでしょう。
ですが、残念ながら博士課程に進む人などはこのあたりの魂を悪魔に売る所業への抵抗感が大きい人も多いはず。
ビジネス界隈で言うマインドが~()ってやつですねw
これを持ちえない人、持つことで罪悪感が生まれる人も多くいるはずです。
「自分のやってることはもしかしたら誰かの詐欺の加担なんじゃないか?本当は価値がないものを価値があるように見せてるだけなんじゃないか?」
そんなことを考えてしまったりします。
逆に全然考えないor考えても自分は違うと妄信できる脳内お花畑の人が突き抜けていくのがネットのビジネスの世界ではよく見られます。
これは完全に偏見ですが、大学中退した人とかそういう非懐疑論的なお花畑方向にピュアに全力ブーストできる場合多いですね。
また、悪いことしても人はすぐ忘れるし一度金とブランドを持つとそこに反抗するよりもその悪人を利用して自分の利益にするほうがインセンティブが働いたりするのもこの社会の残念な特性。
ウェブの世界では大抵悪貨は良貨を駆逐します。悪貨を利用することで経済的インセンティブを作ることもできるからです。
アフィリやってる自分も悪貨を広げてる可能性は十分にありますね。でもそれはビジネスに常に付きまとってきます。
自分だけが良貨と思えるお花畑な人になるか悪貨でも何の迷いもなく広めていける人になるか。
何というか商売やる上での心の強さ(?)を持つのが研究畑の人にはなかなか難儀だったりします。
正論を吐くと批判論者の烙印を押されてその後自分がビジネスやりにくくなる。そんなつまらない世界だったり。
みんなで広げよう悪の花園()
まあでも人間どうしようもないくらい追い詰められたらきっとなんでもできますw
できなかった研究者が自ら命を絶ってしまうんだと思います。就職して研究しよーでも別にいいわけですし。
僕は自分なりに理由付けしながらこのあたりを行ったり来たりw
ダブルスタンダードで生きてますw
コツとしては何かしら”意義”を見出すことですね。己の中に”意義”という名の宗教を構築してしまうとメンタルブロックが強い学者系でもお花畑ビジネスがきっとできます。
例えば、アフィリであれば”ちゃんと調べた上で大手の企業が金と人的リソースを使って作ってる商品を適切に広げることはみんなにプラスになる”とかね。
現実的には報酬単価が出せない商品がアフィリで世に出回ることは極めて少ないでしょうけどw
生きるためにはダブスタ。みんなでダブスタ。だって研究に金が出ない貧しい国だからww
研究できてた人でブランドビジネスやってる人は意義という名の宗教を自ら妄信している場合が多いです。いい面だけを吐くポジショントークをがっつり行えばOK。
その道を望むかは別にしてそういう気概を持つと多分いろいろできるようになります。
生きてりゃ研究はできるんで死ぬくらい絶望してたら一度なんでもやってみよう。
後々の経済や文明発展を支える研究を行う我々が不遇な方がおかしいから。
こういう気持ちで攻め込めばまあまあなんでもできますw
どこまで攻め込めるかは素質に依存するでしょうけどw
ただその勢いである程度進んだら一度立ち止まりましょう。でないと化け物になります。
まあネットは化け物だらけですけど。先述のインセンティブで化け物が持て囃されますしね。
基本みんないいところしか見せないし、自分への利益なり権威性なりなんなりが付くように計算して動く。
実際金儲けには成功した人とも何度か会ったことありますが、個人的には成功したってかただの銭ゲバだなって人も。
お金稼いで何がやりたいんですか?(*’ω’*)って聞いたら「何もやりたいことないしかと言って他人にお金渡したくない。女遊びくらいだけど大体したし・・・」みたいな。
これがネットでは億万長者のキラキラ成功者だったりしますw
つまらん・・・得た金で何かやろうよ・・・いや別に直接お金を使って何かやらなくてもいいんだけど、誰かに支援して何か成し遂げてもらうとかでもいいじゃない?
その時「今すぐ〇んで全国の大学院生に遺産を配りましょう!その方が稼いだ意義がありますから!」って笑顔で言いそうになりましたw
まあこのブログも過去記事にしっかりきらきらした記事を載せてますが、たまにはこういうドロドロ記事を投稿したっていいよね?(;・∀・)
キラキラ記事ばっか書いて洗脳要素ばらまいてこの人からなら何か学びたい!お金払ってでも!っていう風に持っていくのが何かを売るなら正解。
こういう記事を書くと人が寄り付かなくなるから不正解w何かものやサービスを売りたいブログでは本当はやっちゃダメ。
でも書きたいことを書くのがブログ!
だからこういう鬱記事も書いちゃいます(*’ω’*)
正直研究やるより金儲けやる方が楽だと思うけどそれでもなんで研究やってるのか
さてさてなんやかんや言っても何かしらの理由で研究を続けて自らハードモードな人生を歩むドMな皆様(全力ブーメラン)。
研究という行為に経済的利潤を追求することをはるかに上回るカタルシス・”意義”を見出していることになります。
その意義はみなそれぞれ違うでしょうし違ってた方がいいでしょう。
工学的応用、医学的貢献、真理(と思しき事物の)探究などなど。
様々な欲求の下で各々身を粉にして苦しんだり楽しんだりしながら研究していることでしょう。
僕の研究動機としては単純に何かを構築して解明するのが楽しいからですね。
ビジネス構築してそのモデルについて考えるとかも好きなんで多分研究以外でもいいっちゃいいんですけど。
”何かを理解する上で科学的手続きを踏んで行われるモデル構築とその原理解明が一番マシそう”だと思う宗教に入信してるから科学研究やってます。
最近はSNSなどの発展の副作用で”何を言うかはどうでもよくて誰が言うかが大事”な古来より流布した宗教よりも大きく劣化した宗教が多角化して力を持つようになってますけどw
まあ僕個人としては”自分の興味に基づいた事物の理解のためのモデル構築&解明を行いつつ、そこに至った最初の営みに携わってるってなんかいいよね”って感じで研究やってます。
”なんかいいよね”ですw
なんで研究とか論文書きとかやってるのかの答えは「そこに山があるから」と答える登山家と同じなのかもしれませぬ。
山の頂上に登ったら、月に最初に行ったら、人は意味もなく旗をぶっ刺す。
それがやりたいだけですw
その旗意味あんの?って言われてもまあ意味のあるなしなぞ知らんよと。
意義を与えるのは己ですからね(*’ω’*)
山の頂上に旗をぶっ刺すのが論文書きです。
あまり旗を刺すことそのものに興味はないんですけど、まあせっかく登ったし旗さしとくか~的な感覚になると論文書きが多少捗るようになりました。
金にもならない。ほぼ誰にも読まれない。でもその山に登って、さらなる高い山の頂上を目指す人がたまたま
「お、旗立ってる。見とくか。でもまだここ山頂じゃないっぽいから俺もうちょい登ってくるわ」
ってなるかもしれない。そういうのは悪くない。
だから旗を立てておく。登ったから。
金儲けとかと違って経済的インセンティブはないけどね。まあ仕方ない。山登っちゃったから。
研究は登る山見つけて誰よりも早く世界で自分だけが最初に何かしらの景色を眺望するために登るだけ。でもそこは山の頂上じゃないんだな。
人生の中で一度はそういう経験をしておくとよきかなよきかな。
博士課程に進んでお坊さんのように、死地を楽しむ登山家のように、この修行をやり遂げるんだ。
修行中だからね。生きづらいけど頑張ろう。もし博士課程に絶望して死にそうになってる人がここを読んでたら逃げるなり休学するなりお金貯めるビジネスギャンブルやるなりしてみよう。
時間だけ失ってさらなる絶望ルートもありそうだけど、何かしら面白いことが起きるかもしれないぞ(‘_’)
色々生きづらさを感じはするものの研究とビジネス両方やってたら楽しいことも増えたしね。
そんなわけで博士課程に絶望したらふわっと一度遠くを見たり、今いる登山地点を鳥の目で眺望してみたりして、死なないように山を登ってみたり。山小屋建てて立ち止まってみたり、山を降りて逃げ出したり。好きにしたらいいのさ(‘◇’)ゞ
ただまあ、研究やるやつは好きでやってるからお金なんてあげなくていい。って風潮が続くともう本当日本はオワコンだと思いますけどね。
だからあえて最後に言おう。
研究はお金にならないのに文明や産業の発展維持を支え、新たにそれらを前に推し進める仕事であり、”苦行”だと。
仕事なんだからちゃんとお金を払うなり仕事を行うことができる環境を国が整備するべきだと今も思う。
でも何も期待できないから自分はビジネスという名のギャンブルとも言える不確定要素のあるゲームで遊んでみたわけだけどね。
なんか日本ってやっぱお金の流れがおかしいなって思うね。
金儲けに振り切らないほうが社会全体としても明らかに生み出す価値が高い人も薄給に苦しんで金儲けに時間使わないといけなくなるし。
仕事として認められるべきものが仕事として認められない。これが結局のところ博士課程の絶望だと思う。
これ自分がある程度お金持ったら考え方変わるんかなあと思ってたけどあんま変わらなかった。自分一人の研究力なんて知れてるし。
大半の研究してる人を国がちゃんと支援したほうがいい。選択と集中とか部分集中して全体を焼け野原にしてる場合じゃない。
研究力を社会資本として認識できない国も国民も終わってんなあと思います。
研究してた人が日本の研究に未来がないからやめてyoutubeに全力投球とかも個人的にはすごく悲しい。でもそのくらい終わってるんだろうなと。
それがこの国の現状ですよね。本当複数の分野が同時多発的にオワコン化してると思う。驚くほどの速度で。
が、なかなかどうしようもないですね。
外に期待するだけ無駄だから苦悩は吐きつつ、個人的にはまるで共感はできないけど周りの世界が金出すと言ってるものをえっちらおっちら提供してる。
そんなこんなで僕個人としては研究とビジネス両方をやってみて剥離するその営みの並列化に絶望感と疲弊を感じることは割とあるけど何もしないよりはマシ。
そんな感じ。実際マシになるし面白い部分もあるんだけどね。
自分で事業やってたおかげで人生変わったのは間違いない。
もし院生とかでこの鬱々記事を読んだ上で博士課程いながらビジネスで稼いでみたいとか質問とかあればlineからでも質問してくださいw
その時のテンションが高ければややキラキラ前向きに。低ければ厳しめに返信します(*’ω’*)←
博士課程や研究を続けている人、あるいは違う道に踏み出すかどうかで迷っている人、
同じような悩みを持つ人がこの記事を読むかもしれないからお仕事しながら博士課程に挑む山道コースの中腹地点に小さい旗を立てておきました。ざくっ。
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