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子供に真の意味で勉強させたい親がやるべきただ一つのこととは? ~子供に学びの能動的理由を発見させよ~

ちらスタディ

こんにちは。ちらです🐤

今日も研究と事業活動をやって今この記事を書いています。

本日は久々のブログ更新ですが例によって書きたくなったことをつらつらと書いていきます。

記事のお題は「子供に勉強させたい親がやるべきただ一つのこと」

結論は副題の通り、”子供に学びの能動的理由を発見させること”です。

もっと簡単に言うと”好奇心を大切にしてあげることです”

以前、「ちらさんみたいに勉強好きになるのは何がきっかけだったんですか?」という質問をいただいたこともあるので。

このあたりに関して自分の幼少期の経験も交えつつコラム記事を書いてみますね(*’ω’*)

小さい子供を教育する親御さんとかには何か役に立つところがあるかも。

子供に勉強させたいのは親のエゴ まず大前提として己のエゴに気付くべし

ちらは現在親じゃないので親の気持ちは完璧にはわかりませんが、

子を持つ親なら以下のようなことを考えたことがあるのでは?

「子供にちゃんと勉強してほしい!」

「いい大学に行ってほしい!」

「我が子がちゃんと安定した仕事に就いてくれるか不安」

こんな感じの話、よく耳にしますね(‘ω’)ノ

もしかしたらあなたにも心当たりがあるかもしれません。

 

でもこんな意見、子供にとってはマジでどうでもいいんですよね(‘ω’)ノ

いや、本当にどうでもいいですよ。

特に小学校の時とか小さい時ならなおさら。

大学とか就職とかも全然興味ないですし、子供に勉強してほしいってのは基本的に親のエゴ\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

「いい大学に行ったら~~」、

「いい会社に入ったら~~」、

「いい点数を取ったら~~」etcetc…

 

”子供のためを思って”っていう愛情は子供にとってみれば”親のエゴイズム”に変わりないです。

”いい大学やいい会社に行ってほしいのは親がそのほうが安心できるから”ってね。

もちろん実際は親は子供にできるだけ苦労してほしくないし、気持ちよく生きていけるようにと考えての意見だと思います。

でも、勉強しない子供にこうした意思が透けるのは恐らく逆効果です(‘_’)

 

子供が勉強にのめり込むかどうかは”未来に対する外発的動機付け”ではなく、もっと別の観点で決まると個人的には思います。

少なくともちらは親にこうした外発的動機付けを勉強すべき理由として挙げられたことは一度もないです。

子供が勉強しないのは勉強に面白みを見いだせていないから ”理屈より好奇心を刺激せよ”

はい、子供が勉強しないのは単に勉強が面白くないから。

何が面白いのかを見いだせないからです。

親がやるべきことはただ一つ。

「子供の好奇心のシグナルを検知して好奇心を勉強の起爆力に変える」

これです。

子供によって何に興味を持つかは様々だと思います。

子供の興味に対する行動力を抑制せず、しっかりと楽しませること。

「楽しいという感情を勉強題材に結びつけるように誘導すること」

 

ちらの場合、幼少期の興味対象はゲームでした(*’▽’)

なんと2歳から父親がやってたマリオカートを見よう見まねで始め、何時間も集中してやっていたそうです。

2歳( ^ω^)・・・

我ながら頭大丈夫かしらと思ってしまいます。

が、うちの親は全くこれを止めず。

小学校時代までゲームにはまりまくる我が子を呆れつつふんわりと見ていたそうですw

ここで、「ゲームばかりやってないで勉強しなさい!」と言わないのが肝ですね。

現代だとyoutubeとかが結構当てはまるのかもしれませんね(*’▽’)

 

さて、そんなゲーム大好きなちら少年、ゲームばかりやっていたのにあら不思議。

意外と学校の成績はよかったのです。特に小学校時代の勉強で重要な国語や数学が得意でした。

しかし、それもそのはず。

「RPGのボス戦でHPを削り合い、MP消費を気にする局面での計算」

「ゲームのストーリー進行で出てくる数多くの文章の読解」

このあたりで足し算引き算、ひらがなや漢字の読解あたりは小学校に入る前からやっていました(*’ω’*)

 

ゲームをやっていれば賢くなった。学校の勉強に耐えうる脳みそが勝手にできていました。

ただし、何も考えずに親がゲームを野放しでやらせていたかと言うとそうでもない。

たしかに記憶にあるのですが、ちゃんと勉強につながる種をまいていたんですよね( ゚Д゚)

 

例えば、小学校1年生あたりの時期に以下のような実体験があります。

1.ゲームキャラクターが何を言っているのかわからない。漢字が読めない

→漢和辞典と国語辞書を買い与えて使い方を教えられる(読解可能な文字の拡張)。ストーリーが知りたいので気合で調べる。

2.RPGでキャラクターの行動順番が何で決まるのかを知りたい

→すばやさの概念とその数値の大小関係で行動速度に差が出ることを教えられる(不等式の概念を理解)。

3.RPGの戦闘にて1ターン力をためてから攻撃するか否かの判断をどう行うか

→力をためる行動が通常攻撃の二倍かどうかを計算して二倍以上であれば次のターン生き残れるかを考える(掛け算の概念)

 

これって結構すごいことだと今になると思います。

興味を原動力にしながら学びにつなげていく。

”まだ習ってないから”といった概念も全くない状態が維持されます。

そしてゲームだと同じ局面が何度も起きるので得た知識の活用が習慣化して定着するんですよね。

こんなことを繰り返していたら小学校時代の勉強の基礎はすべてゲームが教えてくれたみたいな状態に( ゚Д゚)

そこからはまあ普通に小学校の授業は付いていけるイージーモードでした。

ただ、ゲームから何も学んでなかったらどうだったんだろう。今となっては知る由もない(‘_’)

 

ただの数の計算だったりただの漢字の書き取りからいきなりやってもつまらないですよね。

最近はいい大学や企業に行かせるためのお受験などを幼少期からやらせる親も増えてるようですが、

小さいときにはこうした好奇心から始まる学びをとことん入れたほうがいいのかなって思います。

もちろん、子供が本気で受験したいって思ってるならいいんですけど。。。どうなんでしょう(;・∀・)

 

子供が好きなことや興味が尽きない物事をしっかり親が受け止めて、

そこから勉強に(子供が気づいてなくても)つなげてあげるのがいいように思いますね^^

受動的な消費から能動的な生産への移行で真の学びと創造活動が始まる

幼少期にゲームにはまりながらも勉強を行っていたちら少年ですが、

途中で学びの質が劇的に変わることになります(*’ω’*)

そのきっかけは小学校3年生のちら少年のある一言

ちら「最近ゲームつまらなくなってきた。結構パターン化されてる感じするし」

ちら父「じゃあ自分でもっと面白いゲーム作れば?」

 

・・・( ゚Д゚)作る・・・だと?

 

そう。ゲームは何もやるだけではない。作るものという発想。

パンがないならケーキを食べればいいじゃない。

面白いゲームがないなら自分がもっと面白いと思うゲームを作ればいいじゃない。

そういうことですな(*’ω’*)←(?)

この一言がちらの人生で親からもらった教育で極めて重要なターニングポイントでした。

 

ここからゲームを作るために真の勉強が始まります。

・舞台設定、世界観の構築のために国語と社会をもっと学びたくなる

・SF系や魔法の世界を表現するために理科の知識を得たくなる

・アクションRPGを作るための数学を学ぶ必要が生じる(ex.攻撃の当たり判定で距離を測る必要が生じる→三平方の定理)

・スーパーマリオを作るためにジャンプ処理の構築が必要になる(ex.ジャンプは加速度運動なので高校レベルの物理が顔を出す)

・プログラミングが必要と知りお小遣いでC言語の本を買ってくる。英単語を読む必要が生じる(英語の先取り)

 

まあプログラミングは最初挫折して当時はまずはRPGツクールにハマったんですけどね(‘ω’)ノ

こんな感じで「学校のテストでいい点を取る」、「いい学校に入りたいから」、「親に褒められたいから」

といった外発的動機づけで勉強に取り組んでこなかったんですよね。少なくとも小学校時代は(中学時代はまたいつか記事にしますw)。

 

「勉強すればするほど理解できる世界が、作れる世界が増える」

「自分の想像した理想の世界構築のための創造力を手に入れられる」

理解が深まり、作れる世界が広がり、増え、神に近づくような全能感。

今思うと当時から今に至るまで学ぶことで得られるこの愉悦がたまらなかったわけですね(*’ω’*)

 

当時は独学でやってましたが、もしお子さんがちらのようにプログラミングに興味を持ったら

在宅で学べる子供向けオンラインプログラミング講座とかで無料体験を試してみてもいいかもですね(‘ω’)ノ

 

こうしてちら少年は勉強を当たり前に行い、どんどん成績もよくなり、通常のお勉強で困ることはまずなくなりました。

難しいことがあっても(記憶してる限りでは食塩水の濃度問題とつるかめ算で一度つまずいた)、

ゲーム制作を通して自分で本を読むなり人に質問して教わるなりする習慣が付いていたので問題なかったですね。

また、なんでもかんでもいきなりできる・わかるわけがないことを
ゲーム制作の過程で嫌と言うほど自分の身に叩き込んでいます。

これらの経験が今に至るまで活きている。

ちらさんが「やらされる勉強」ではなく「やる勉強」を習慣化させたきっかけと流れでした^^


 

やらされないで自分から勉強できる子供になってほしいなら”好奇心”を絶やさないで

子供に本当の意味で勉強ができるようになってほしいなら、

無理やり勉強させるのではなく子供の好奇心に根付いた学習・勉強の機会を与えてあげるのがベストだとちらは思います(‘ω’)ノ

今回の記事では自分の実体験も交えたのでゲームの話が多くなりましたが、別にゲームに限ったことではありません。

音楽でもスポーツでも芸術でもなんでも勉強に結びつけることはできるはずです。

やらされる外発的動機づけの勉強を子供に押し付けるのはあまり得策ではないかなと思います。

好奇心を火種にした内発的動機付けで楽しく行える勉強・研究への道を歩めるときっと楽しいですよ(*’ω’*)



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